気になる列車 大垣夜行

2017年12月26日

【マイクロエース】(A0888)国鉄 急行型電車東海道線347M「大垣夜行」4両増結セットMICROACE鉄道模型Nゲージ

昔の時刻表から気になる列車の歴史を紐解いています。昭和62年の時刻表を見ると、ブルートレインの合間を縫って、東京発大垣行きの列車が記載されています。初めて見た方なら、絶対に気になる列車だと思います。これぞ、昔から「鉄道好き」や旅人の間で有名な「大垣夜行」です。今回は「大垣夜行」の歴史を振り返りたいと思います。

この大垣夜行、元を正せば、新橋~神戸間が開通した1889年(明治42年)まで遡れます。この時、新橋16:45分発、神戸着12時50分着の夜行列車がありました。これは夜行列車を設定したというよりも、列車の速度が遅かったので、仕方がなく夜中に走ったという意味合いが強かったのです。この頃は、まだ鉄道以外では大阪と東京を結ぶ交通機関はありませんでした。そこで、実業家や有名人がこの列車を利用し、車内はさながら、ヨーロッパのサロンのような雰囲気だったのです。大正から昭和初期にかけて、東海道線には1日5~7本の夜行普通列車がありました。食堂車や寝台車が登場したのもこの頃です。しかし、第二次世界大戦において、夜行列車は廃止されてしまいました。

戦争は終わりましたが、物資不足のため、東海道本線の夜行列車は普通夜行列車が数本走るのみとなりました。1950年に入ると、落ち着きを取り戻し、急行列車が増発されていきました。この時はまだ、数本の夜行普通列車が走っていました。しかし、高度経済成長に伴い特急が増発され、ついに東海道本線を走る夜行普通列車は1本のみとなりました。

1968年のダイヤ改正で「廃止」かと思いきや、国鉄総裁の判断で存続が決定したのです。まだ、高速バスが発達していない時代だったので、格安で移動できる夜行普通列車は人気があったのです。そして、電車化に伴い東京~大垣に変更、この時から「大垣夜行」と呼ばれるようになったのです。その後も、多くの若者を乗せ、いつも列車は混雑していました。ダイヤに多少の変更はありましたが、1996年まで基本スタイルを変えずに走り続けました。

1996年、「大垣夜行」に使われていた165系が特急型車両373系に変わり「ムーンライトながら」という名称が与えられました。ただ、165系を使った「大垣夜行」は臨時列車として残り、車種を変えながら2009年まで走っていました。そして、「ムーンライトながら」も2009年に臨時列車化。並行する高速バスの充実に影響を受けたのでしょう。昭和は遠くになりにけりです。私も一度は乗りたかった車両です。