ジョイフルトレイン

2017年12月26日

走れ!ジョイフルトレイン [DVD]

バブルの時代が過ぎ去って、はや四半世紀が過ぎようとしています。と言っても、バブルの時代は小さかったので全く覚えていません。物心がついた時には、バブル景気が終わり、日本は不況のどん底に喘いでいたのです。なので、「景気がよい」という体験をしたことがない世代なのです。だいぶ、話から外れてしまいましたが、今回はバブル景気の落し子とも言えるジョイフルトレインにスポットを当てたいと思います。

そもそも、「ジョイフルトレイン」とはなんでしょうか。「トレイン」が列車と分かっても、「ジョイフル」とは何でしょうか。まあ、名前にこだわりだすとキリがありませんが、要するに「乗っていてワクワク、楽しい気持ちがする車両」で主に団体列車に使われました。最初の「ジョイフルトレイン」は昭和58年に誕生した「サロンエクスプレス東京」でした。洋風の客車で最後尾は展望車風に仕立て、豪華なソファが置かれていました。今でも、十分に通用する斬新なデザインだと思います。「サロンエクスプレス東京」は新しい列車の旅を提供したことで、大人気を博し、1984年にブルーリボン賞を受賞。その後、「ジョイフルトレインの元祖」として活躍。1997年に和風列車「ゆとり」に改造され、2008年まで使用されました。まさしく、「名車」と言ってよい車両です。

この「サロンエクスプレス東京」を皮切りに、様々な「ジョイフルトレイン」が誕生しました。その中で、一番強烈な個性を持った車両は「リゾートサルーン・フェスタ」でしょう。1988年にJR西日本が製造した車両ですが、何と車体前面に唇がついているのです。そして、この唇がパクパク動き、唇の間から見えるのはLEDの電光掲示板。電光掲示板から様々なメッセージを出していたのです。そして、極めつけは喋ること。「僕、フェスタ」と口をパクパク動かしながら喋るのです。今から考えると「よく、こんなアイディアが浮かんだなあ」と感心させられます。一度、この目で見たかったですが、結局、見られないまま、1999年に廃車になりました。

バブル崩壊と共に、ジョイフルトレインも少しずつ数を減らしていきました。それでも、まだまだ全国各地を走っています。子供の時はカメラを持ってジョイフルトレインを追いかけていました。この年齢になると、実際に乗ってみたいですね。ただ、乗るとなると、何らかのツアーに申し込まなければなりません。私はツアーが好きではないので、乗らずじまいで終わりそうです。