幻の鹿島臨海鉄道臨港線の旅客営業について

2017年12月26日

Nゲージ 16001-3 鹿島臨海鉄道6006 ガールズ&パンツァー仕様ラッピング列車

今回は、鹿島臨海鉄道臨港線を取り上げたいと思います。「鹿島臨海鉄道」と聞くと、「ああ、水戸と鹿島のサッカースタジアムを結ぶ線でしょ、あの赤と白の気動車ね」と答える方もいるでしょう。確かに、現在、鹿島臨海鉄道で旅客営業を行っているのは、水戸から鹿島サッカースタジアムまでの大洗鹿島線です。今回、取り上げるのは、現在は貨物路線となっている臨港線の方です。今回は、臨港線の旅客営業のお話です。

実は、1978年から1983年のたった5年間だけ、臨港線で営業運転が行われたのです。1978年に国鉄(当時)の鹿島神宮から北鹿島を経由して、臨港線の鹿島港南まで営業運転が行われていたのです。私は宮脇俊三さんの本を通じて、臨港線の旅客営業のことを知りました。私の生まれる前に生まれたのですから、事前に知らなくて当然と言えば当然でしょう。

本を読み進めると、「鹿島臨海鉄道」という単語が出てきました。「ああ、サッカー場から水戸方面へ行く線ね」と思いながら、読み進めると何かが違うのです。「列車本数は1日3本」「乗客がほとんどいない」「鹿島港」という文章や文字が目に飛び込んでくるのです。「あれ、おかしいなあ、鹿島臨海鉄道はそんなに過疎ローカル線だったかな」とわけが分からなくなりました。そこで、インターネットで調べると「鹿島臨海鉄道臨港線」の旅客営業のことが書かれていました。その時は、本当に驚きました。そんな路線があるとは思えなかったからです。

さて、路線の概要に話を戻しましょう。先ほど、書いたとおり、鹿島神宮から鹿島港南までの本数は往復3本しかありませんでした。車両は国鉄のキハ20系を譲り受けたもの。写真で見ると、赤一色に白線を引いただけの至ってシンプルな塗装です。余談ですが、たった5年しか活躍しなかったにも関わらず、Nゲージで模型化されているのです。モデラーには注目の的になったみたいですよ。

沿線は工業地帯で、沿線人口はものすごく少なかったのです。住宅地は行けばいくほど少なかったそうです。これですと、5年で廃止になって当たり前ですね。それでも、旅客営業最終日には、たくさんの鉄道好きが集まり、車内には簡単な飾りつけまでされたのです。鹿島臨海鉄道の「鉄道愛」を感じますね。

個人的には、ものすごく「乗りたかった線」ですね。仕事の関係で、工場地帯に行く機会が多かったので、よけいにそう感じます。次の休日、工場を縫う都会のローカル線に乗ってもいいかもしれませんね。