寝台急行「だいせん号」

2017年12月26日

都市地図 兵庫県 尼崎市 (地図 | マップル)

昔の時刻表を眺めると、「この列車に乗ったなあ、もう一回乗りたいなあ」という気持ちがフツフツと湧いてきます。今日は、大阪から出雲市を結んでいた急行「だいせん号」を取り上げましょう。

関西から島根県へのルートは案外、行きにくいものです。現在ですと、新幹線で岡山まで出て、岡山から特急「やくも号」に乗るルートが一般でしょう。昔はいくつかのルートが存在したのです。その一つが、急行「だいせん号」なのです。「だいせん号」は大阪を出発すると、尼崎から福知山線に入り、福知山から山陰本線をひた走りました。途中、倉吉から快速に。山陰本線では、早朝の通勤、通学の足としても利用されたのです。国鉄時代には多くの「だいせん号」が走っており、大社線がありし時は大社まで乗り入れていました。しかし、物心がついた時は、すでに、1往復になっていたのです。

私は、小学校4年生のときに、父と尼崎から「だいせん号」に乗りました。まだ、客車での運行でしたので、無理を言って寝台車に乗りました。車内に入ると、すでに夜が遅かったので、ほとんどの人が眠りについていました。私も早速、下段で寝ようとしたのですが、車内放送が宝塚まで行われていたので、うるさくてなかなか眠れませんでした。今から考えると、「だいせん号」に乗れることに、興奮して眠れなかったのかもしれません。そして、出雲市着は早朝。あんまり眠れなかったことを覚えています。その後は出雲大社や大社線の大社駅跡、一畑電鉄に乗ったのですが、睡眠不足のせいで、少し体がキツかったですね。今から考えると、帰りのときに利用する方がよかったですね。

しかし、私が乗車したときは、すでに「だいせん号」は衰退の一途をたどっていました。ついに、1999年に客車から気動車に。しかも2両編成。そして、米子まで短縮されてしまいました。もう、この時点で「急行」ではなくて、単なる「快速」にした方がよかったかもしれません。2両編成の「だいせん号」はあまりにも寂しい姿でした。そして、2004年のダイヤ改正で廃止されました。「廃止」を聞いた時は、とてもショックでした。「やはり」とは思っていましたが、やっぱり、自分自身が乗り親しんだ列車が消滅することは寂しいものです。

おそらく、現在ですと、関西から島根県へは高速バスが主流だと思います。もしくは飛行機でしょう。鉄道のシェアは低いと思います。鉄道のシェアが低いことに関しても、さみしい思いがします。