オリエント急行

2017年11月29日

オリエント急行殺人事件 DVD-BOX

世界で一番豪華な列車といえば「オリエント急行」ではないでしょうか。しかし「オリエント急行」は数年前に廃止されてしまいました。今回は「オリエント急行」の概略を簡単にまとめたいと思います。

「オリエント急行」の歴史は1883年まで、遡ります。運行区間はパリ~イスタンブール間。当時、西欧の人々にとって未知であった東欧、トルコへの旅はどれだけ魅力的だったのでしょうか。当時から豪華な寝台車が利用され、上流階級向けの列車だったようです。

しかし、東欧側の設備があまりにも貧弱だったので、運行に支障をきたすことが度々起きました。19世紀末期には強盗団に襲われたこともあったらしいですよ。また、東欧でコレラが感染しているという理由で列車が隔離されたこともありました。

「オリエント急行」の最盛期は1930年代です。複数の「オリエント急行」が運行され、イスタンブールから船や車に乗り継ぐ形で、テヘランやカイロまで旅行することができました。当時の『トーマスクック時刻表』にも中東までのアクセスが記載されています。しかし、第二次世界大戦が勃発すると「オリエント急行」も運休を余儀なくされました。

第二次世界大戦後も「オリエント急行」の運転は続けられましたが、最盛期の頃と比べると見る影もありませんでした。パリからイスタンブールまでの直通便はありましたが、老朽化した寝台車や座席車が連結される有り様。さらに、共産主義圏ではパスポートチェックの厳格化により、所要時間が大幅に伸びてしまいました。ついに、1977年、パリ~イスタンブール間の「オリエント急行」は廃止に追い込まれました。

その後「オリエント急行」はパリからハンガリーのブダペスト、ルーマニアのブカレスト行きになりました。しばらくは、パリから東欧圏へ向かう国際列車として細々と運行されていましたが、2001年にオーストリアのウィーン止まりに変更されました。

パリ~ウィーン間ですと「オリエント」ではないと思いますが、それでも「オリエント急行」という名を残す列車としてしぶとく残っていたのです。2007年にはパリ~ストラスブール間が廃止。ストラスブール~ウィーン間が最後の「オリエント急行」になったのです。

ついに、2009年12月12日、最後まで残っていたストラスブール~ウィーン間が廃止。これにより「オリエント急行」は正式になくなりました。現在では、最盛期の頃を再現した「オリエント急行」が観光列車として走っています。チャンスがあれば一度は乗ってみたいですね。