悲運の客車 50系

2017年11月29日

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今回は、国鉄後期に誕生した悲運の客車、50系を紹介します。50系は一般型客車に対する見方を変えたエポック的な客車ですが、どうも、様々な「運」には恵まれなかったような気がします。それでは、50系のプロフィールから見ていきましょう。

50系は1978年(昭和53年)に筑豊本線と芸備線で運用を開始しました。国鉄としては電車や気動車が続々と登場している中で、一般型客車の製造は消極的な姿勢でした。しかし、地方ローカル線には自動ドアが付いていない老朽化した客車がゴロゴロ走っていました。安全面から考えても自動ドアが付いていない旧型客車が問題視されていたのです。もちろん、旧型客車を置き換えるために、急に気動車や電車を投入するわけにもいきません。そこで50系客車が製造されることになったのです。登場時点から、50系を「つなぎ」と考えていた節が感じられます。

50系は自動ドア付きセミクロスシートの配置をした客車でした。旧型客車と比較すると、快適性が一気に増したので、地域住民からは「大歓迎」されたそうです。一方、トイレは作られなかったので、いろいろと問題が発生したらしいですが。とにかく、50系は北海道から九州まで全国各地で使われたのです。

国鉄からJRに変わった1987年、50系はJRに移管されました。しかし、50系は民営化を契機に、どんどん廃車されることになります。どうしても、客車は電車やディーゼルカーと比較するとスピードが遅く、使い勝手も悪かったのです。また、50系は冷房装置が付けられていない、という大きな欠点を抱えていたのです。JR各社は強気な姿勢で続々と魅力的な新車を登場させていきました。その一方で、50系はどんどん廃車されたのです。ついに、2002年(平成14年)に津軽海峡線を走っていた「海峡号」の廃止により、50系は定期運用を失うことに。現在では「ノロッコ号」や「SL人吉号」などの臨時列車で細々と活躍しています。

ところで、50系の塗装は目にも鮮やかな赤色をしていました。ところが、タイミングが悪かったのでしょう。昭和50年代、国鉄は慢性的な赤字で苦しんでいたのです。この鮮やかな「赤色」が国鉄の「赤字」を連想させ、乗客からは様々なヤジが飛んだそうです。何から何まで悲運な客車であった50系。それでも、地方ローカル線の近代化に貢献した功績は大きいと思います。50系客車は「京都鉄道博物館」で展示され、実際に乗車することもできます。国鉄時代の雰囲気が詰まった客車ですよ。